時間がゆっくり流れる街 ~御手洗~ 散策

御手洗の町並み
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Journeys in Japan – NHK BS –
2023年5月17日 安芸灘とびしま海道・歴史とレモン香る島々
にて御手洗が取り上げられていました。

目次

御手洗町並み保存地区 広島県呉市豊町

風待ち汐待ちで有名な江戸時代の港町です。
長い間船でしか行く手段がなく、これまで行く機会がなかったのですが、平成20年11月に橋が出来たことによって、車で直接行けるようになったので、出かけてみました。
大長みかんで有名な大崎下島にあります。

ただ、本州と下蒲刈島を結ぶ橋(安芸灘大橋)が普通車で片道730円、必ず往復となるため、1460円必要になります。
(ETC未対応)

御手洗案内画像
御手洗の街並み

江戸自体の町並みが残っています。

御手洗の瓦

千砂子波止・高燈籠

千砂子波止

千砂子波止 -江戸時代に作られた石積みの防波堤、と 高燈籠 -当時の灯台です。
1829 (文政12) 年に完成した、全長六十五間 (約120m) 、沖出し部分五十間 (約90m)、当時「中国無双」と称された大防波堤だそうです。

千砂子波止 石畳

七卿落遺跡

七卿落遺跡の案内

幕末の歴史で有名な七卿落ですが、入京途上に蛤御門の変の敗戦を知り、長州に引き返す途中、ここ(竹原屋屋敷)に泊まったそうです。

竹原屋屋敷

旧金子家住宅

旧金子家住宅

慶応3(1867)年11月、ここ旧金子家住宅にて、長州藩、芸州藩による「御手洗条約」が締結されたそうです。

伊能忠敬御手洗測量之図

伊能忠敬御手洗測量之図

1806 (文化3) 年に伊能忠敬が旧柴屋邸に宿泊し、大崎島の測量をしたと伝わっているそうです。

若胡子屋

若胡子屋 外観

当時の御茶屋「若胡子屋」です。
1724 (享保9) 年に免許を受け、開業したそうです。
18世紀後半には50人 (一説には100人) 近くの芸子・遊女を抱える御手洗最大の茶屋だったそうです。
参勤交代の途中で大名が上がったりする事もあるため、当時は格式の高い花魁が多くいたそうで、花魁たちは京言葉だったそうです。
普段は中を無料で見られるそうですが、筆者が訪れた時は建物の傾斜が理由で内部に入る事が出来ませんでした…

若胡子屋 案内

やはり場所柄なのか、悲しい伝承なども残っているようです。

まとめ

ゆっくり歩いても2時間もかからない程度の規模の街で、ちょっと似た雰囲気の川越と違って全然観光地化されてません。
(これまで船でしか行けず、不便だったと言う理由もあるのでしょうが)
空襲にも遇ってませんし、開発されていない街なので、ゆったりとした昔のままの時間の流れを感じる事が出来る場所でした。

この島伝いの道と橋が岡村島まで通じているのですが、これが大三島まで延伸されて、本四間を結ぶしまなみ海道とつながると便利だし、景色も良いドライブルートになりそうです。

2010年08月12日

みんカラ初出
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この記事を書いた人

ITの世界の片隅で過ごして早30年になりますが、この20年近くはほぼマネジメントしてます。
興味の幅は浅く広く、一旦興味を持ったらかなり深く追及するタイプです。
現在過去未来の由無し事をゆるりと書き連ねたいと思ってます。

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